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宣公 (魯)[せんこう]
宣公(せんこう、生年不詳 - 紀元前591年)は、魯の第21代君主。名は(たい)または倭(い)〔『史記』魯周公世家では「俀」とも「倭」とも書く。『史記索隠』によるとズイ(人唯反)と読む。『漢書』律歴志では「倭」とし、顔師古注によればイ(於危反)と読む。『春秋左氏伝』正義の引く『史記』では「倭」または「接」に作る。『経典釈文』では「倭・接・委」の3通りをあげる。『春秋穀梁伝』疏も「倭」とする〕。文公の子で、文公の後を受けて魯国の君主となった。在位18年。 文公は正夫人の姜氏との間に2人の公子があったが、東門襄仲(公子遂、荘公の子)が文公の第二夫人の敬嬴と私通しており、姜氏の2人の公子を殺して敬嬴の子の俀を立てた。姜氏は実家の斉に帰った〔『春秋左氏伝』文公18年〕。当時はすでに三桓氏が政治の実権を握っており、襄仲の子の公孫帰父は晋の力を借りて三桓氏を除こうとしたが、晋に滞在中に宣公が亡くなったために失敗した。公孫帰父は斉に逃れた〔『春秋左氏伝』宣公18年〕。 == 脚注 ==
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